今日の晩飯は松屋の牛めしだった。
今はもうないと思うが、前に松屋に行った時、「お客さまの笑顔を思い浮かべてがんばっています」と書かれたポスターが貼ってあった。
「お客さまの笑顔のために」とかじゃなくて「笑顔を思い浮かべて」
笑顔見せた事ない相手にいきなり自分の笑顔思い浮かべられてもなあ。勝手に想像するって事か。
そういえば、松屋の店員は食券を取りに来るときに、必ず「?ですね」と言ってメニューの確認をしながらはっきりとこっちの顔を見てくる。
あれは笑顔を想像するための情報収集じゃないのか。何て抜け目のない松屋の店員。
より正確な笑顔を想像する事がお客さまの信頼へとつながるのだ。知らないけど。
コンタクトレンズで、一日で使い捨ての奴があるだろう。あれって何人ぐらいが使ってるんだろうか。
日本のコンタクトレンズ使用人口は一千万人にものぼるらしい。
そのうちで一日使い捨ての人が2割(てきとう)いるとして、200万人の人が一日使い捨てのコンタクトレンズを使用しているのである。
とゆう事は一日400万枚のコンタクトレンズが捨てられている事になる。これって環境問題への影響とかないんだろうか。
使い捨てコンタクトレンズが登場してから現在までのコンタクトレンズの消費量を考えると、もう「東京ドーム○杯分」とかそうゆうレベルの量になるんじゃないか。
それだけの量のコンタクトレンズがあるなら、捨ててしまったりせずに、東京ドームの床一面に広げてみてはどうだろう。満タンにしてしまうと人が入れないので床に広げる程度。
もうコンタクトレンズ踏み放題。コンタクトレンズの中でヘッドスライディングとかできる。
全国のコンタクトレンズマニアを集めて是非開催してもらいたい。
コンタクトレンズマニアはコンタクト踏んで喜ぶのかどうかが問題だが。
納豆も節分豆も枝豆も、全部大豆だ。さまざまなところで色々なものに形を変えて活躍する大豆。「畑の肉」とまで呼ばれている。
しかし「畑の肉」と呼ばれる事は大豆的にはどうなのか。
畑で出来る物って基本的には野菜である。肉とはほぼ真逆のポジションにあるといっていい。
もし知り合いの中に「日本のアメリカ人」と呼ばれる奴がいたらどうだろう。僕はあんまり付き合いたくない気がする。コーラやハンバーガーを消費するだけならまだしもずっとアメリカンジョークとか言われてもなあ。
大豆って畑の作物の中ではそうゆう位置にいるんじゃないだろうか。仕事はできるんだけど、変にアメリカナイズされてて気持ち悪い。そんな奴。
散々納豆とか枝豆とか食べときながら、大豆の悪口っぽくなってしまったのでこのへんでやめときます。
土曜日はオールでカラオケをしたのだが、カラオケの間に映るビデオとゆうか映像が異常にエロかった。
「エロ映画ではない洋画のラブシーン」より少しエロいぐらいのエロさ。かろうじて乳首は出なかったが。
しかも殆どの歌でそのエロさが継続するのである。何か男女とも上半身裸で抱き合ってたり(辛うじて下ははいていた)、和服の乱れた姿で寝転ぶ女性の姿を延々映してたり。
もう歌どころじゃない。あれ家族でカラオケとかだったら気まずくて全員一言も喋れなくなるんじゃないか。
小さい子供連れとかだったらもうパニックである。
みんなでドラマを見てたらエロいシーンになってしまった。そんな状況が一時間単位でずっと続くのである。
男子中学生の集団とか、それが目的で来てる奴いるかも知れない。
男子中学生の集団なのに入れてる曲は「天城越え」ばっか。
誰も歌わない。みんな画面に釘付け。
新しいカラオケの楽しみ方だ。全然新しくないか。
運行ってゆう単語が信じられない程出てくる。「運行」の中にうんこを見出しているのだ。
小学生の頃などは特に、「運行」のように、読みの中に「うんこ」を見つけては喜んでいたものだが(まあ今でもそうだが)、ちゃんとした「大人」はそんな事はしないと思っていた。
大人になれば、「運行」は「うんこ」じゃなくて「運行」だと思っていた。
実際Googleなら「うんこ」で検索しても「うんこ」しか出てこない。
しかしYahoo!は違う。「運行」とか「アウンコンサルティング」にも「うんこ」を見出している。
今でこそそうでもないが一時期のYahoo!株の高騰は凄まじいものがあった。
やはり、大きな業績を残すためには、子供のような柔軟な発想が必要なのだと思いました。うんこ
サークルの飲み会があったのだが、一人外で吐いてしまった。
で、その大半を新聞紙とかで処理した後で、ミネラルウォーターを買ってきてそれで残った汚れを流した。
かつて南アルプスの渓谷を流れてた水が、いま東京の道路を流れている。
そしてこの変化は全て人間の手によってもたらされたものである。
人間ってすごいね。
柔道のルールで、柔道着のサイズに対する規定がある。
柔道着ってあんまり小さいサイズだとだめなのだ。具体的な条文とかは知らないが、袖とか裾が短いと試合にだしてもらえない。
さすがに国際大会とかではないだろうが、高校生の試合とかだと試合前に全員前にならえの格好で袖と裾の長さをチェックされる。
で高校生ってまだ成長過程だったりするから、一年の時に買った柔道着が三年になって小さくなってたりするのである。
それがばれないように、そのチェックをうけるまえに袖を伸ばしてたりする。
どうやってやるかとゆうと、柔道着を着たまま袖口を握って両手を横に広げるのである。
こうすれば一時的に袖が伸びて試合に使える柔道着になる(ように見える)。
そうやって袖を伸ばしてる瞬間の選手って、漫画とかでよくあるセーターの袖が長くて指先しか出てない女の子(そんなの見たことない)と同じ状態である。
むさ苦しい柔道の試合場でむさ苦しい柔道部員が漫画に出てくるようなベタな可愛い女の子と同じポーズ。
何かもうわけわからない。
てゆうかこれからセーターから指先だけ出して袖口握ってるような女の子がいたら袖を伸ばしてる柔道部員だと思えばいい。何もよくないけど。
昔は裕木奈江あたりがそんなんやってたかもしれないが、最近こうゆうの見ない。
もしかして柔道部を連想されるのがイヤでみんなやらなくなったんじゃないか。アイドルの人達も。
昨日のドレッシングの話だが、粘性が低いからこそ混ぜないとだめなんじゃないか、というツッコミを頂いた。まさにその通りだ。
マクドナルドに行くと、何か子供向けのおもちゃ付きのメニューがあるだろう。マクドナルドにとって子供は重要な客層なのだと思われる。
子供を強く意識しているのだろう。いろいろなマスコットのキャラクターもいる。
で、メインのマスコットであると思われるドナルドなんだが、怖い。
何でこんな怖いのか。これ実際にいたら子供泣くと思うんだが。僕だけだろうか。
映画のitみたいじゃないか。マジこわい
マクドナルドは、売り上げアップしたければ、ハンバーガーの値段いじるよりドナルドを可愛らしくしたほうがいいんじゃないか。
今日はフォルクスに行った。ファミレスの。サラダバーってすごい。野菜食べ放題である。500円で。
サラダバーで一週間ぐらい居座る事はできるんだろうか。
で、バイキング風にいろんな野菜が並んでる横にはドレッシングが5種類ぐらいあったのだが、どれも「よくかきまぜてください」と書かれたシールが貼ってあった。
しかし和風ドレッシングだけ「特によくかきまぜてください」と書かれていた。特にって何だ。
見た目に最もさらさらな感じのドレッシングだったのだが、特にかきまぜなければいけない。
ごまドレッシングやフレンチドレッシングなどの、いかにもドロドロなドレッシングを差し置いて、「特によくかきまぜてください」と書かれているのは、最も粘性の低そうな和風ドレッシング。
これではごまやフレンチの立場がないではないか。おそらく自分達の横で特によくかきまぜられている和風ドレッシングを苦々しい想いで見ているに違いない。
「クソッ!何であいつが…」そしてその嫉妬の炎に燃える視線を受けて困り果てる和風ドレッシング。
「あの、いや僕なんて混ぜなくていいですから」
と言っているような気がしたので少ししか混ぜなかった。
味は別におかしくなかったです。あんまり混ぜなくても変わらないんだから早くシールを全部同じにしてやって欲しい。
フォルクスの人見てますか。和風ドレッシングが苦しんでいます。知らないけど。
人生ヤラセ説とゆうのがある。「ある」とかいっときながら僕の中にあるだけだが、要するに僕以外の人間が全員グルで、僕の周りだけで事を起こしてるんじゃないかとゆう疑惑だ。
電車に一緒に乗ってるだけの人も、学校で同じクラスにいるやつも、みんな僕以外は全員知り合いで僕の知らないところで結託してる。
信じられないような自己中心的な考え方だがたまにそうゆう事考えてしまうのである。
この人どっかでみた事あるなー、てゆう人に会うのは前に別の役だった人に会うからだ。
できょう野球ニュース見てたら、カブレラが打ったホームランボールを捕ろうとして素手に当ててものすごく痛がってる人がいた。ボール当ててうずくまるところまで映ってた。
人生ヤラセ説が本当ならこの人は何のためにいるんだろうか。カブレラの打球が手に当たって痛がるところをテレビに映して僕に見せる役の人。
いくらヤラセだからってそこまでやらなくていいだろう。
てゆうかヤラセだったらこんな事しないよなあ。やっぱヤラセ説なんてありえない。
などと言うと思うか。この僕が。
だまされないぞ。
以上、現実逃避でした。