2003年の日記

カミソリって色んな種類があるが、最も一般的なのは安全カミソリだろう。

でも安全カミソリって一番切れないか?いや、切れ味でいうと床屋の持ってる奴なのだろうが、使っている人間の数とか切れる確率でいうと安全カミソリが一番「切れる」カミソリだと思う。あくまで「剃れる」ではなく「切れる」とゆう意味で。全く安全じゃないじゃないか。


つまり、「切れるカミソリ」というと多くの人はほぼ間違いなく安全カミソリを連想するといえる。


と言うことは、「カミソリシュート」とかのカミソリも「安全カミソリ」である。
バッターの懐をえぐる鋭いボールも、ゴールの角に突き刺さるシュートも、安全カミソリをイメージして名づけられたといえる。

そして後ろから悪漢に襲われ「キレテナーイ」


切れてないのかよ。

その名前は困る

確かに困る。
日本だったら近藤武蔵さんみたいなもんか。


「何かこれちょっと小ぶりだよね」
「うん小ぶり」


そんな感じか。何がだ。

年をとると視野が狭くなったり、判断力や反射神経が落ちてくる。あくまでも物理的な意味で。

で何がいいたいかとゆうと、もみじマークとゆうのがある。高齢ドライバーが車に貼るアレなのだが、今まで特に意味を見出せないまま過ごしてきた。

で上の文とのつながりである。要するに判断力が鈍って何をするかわからないからよけて走れってことだろう。
若葉マークは運転技術が未熟でどうなるかわからないから…とゆう事である。
どちらも理由は違えどまあ目的は似たようなものである。危険回避のためだろう。


でも、老人や初心者よりも危険な車がいる。暴走族である。まあ一見してそうとわかる車が多いのが幸いだが、もしかしたらそうでないのも混じっているかもしれない。
彼らの車の近くで何か彼らの逆鱗に触れることをすれば、あるいはしなくても、何をされるかわからない。事故とかではなく、向こうからその気でくるのだから回避のしようがない。

とゆうわけで、老人や初心者だけでなく、暴走族の車が一見してそれとわかるようなマークを作ってはどうだろうか。
やはりそれは例にならい葉っぱを模したものがいいだろう。



若さを表す若葉、成熟を表すもみじに対抗して、鋭くとがっている事を表すねぎマークである。

いばらマークとかサボテンマークにするとそれを貼りたいがために暴走族になる奴がいるので却下。

友人の家に本を借りにいった。玄関でその本を渡してくれたのでそのまま帰るつもりだったのだが、別の用事を思い出して結局あがる事に。

でしばらく話したあと、帰るときになって「あそうや。本借りな。今日は本借りに来たんやった。」


痴呆が始まった模様。最近電気ポットが壊れたので鍋で湯を沸かして紅茶やコーヒーを飲んでいるのだが、アルミの鍋を使うとアルミが溶け出して体内に入り、脳にたまってアルツハイマーになるらしい。
うちの鍋はアルミかどうかわからないのだが、アルミでないと確認するすべもないのでもしかしたらそうかもしれない。

そのせいなのか。いやどう考えてもまだ鍋使いだして一ヶ月もたってないしまだデッドゾーンにはいたってないと思うのだが、でもなあ、毎日結構な量の湯をそれで沸かして飲んでるので不安である。

別に他の事を忘れまくってるわけではないが、少しずつでも確実に進行しているのかもしれない。

怖い。


もし僕が完全にボケてしまったときにこの文章が見つかったら何か闘病記録っぽいね。

マツキヨに行った。
コンドームコーナーの前で仁王立ちする初老どころじゃない年齢のオッサン、じゃなくておじいさん。

頭に浮かぶのは「バイアグラ」の5文字。使ってる人初めて見た。いや実際どうかわからんけど。


大量の女子高生の中で仁王立ちする老人。しかも見据える先にはコンドームの棚。

何だこれは。バイアグラ普及協会か何かのプロパガンダか。

マツキヨに佇む老人。裏にあるのは巨大組織の陰謀。

「フンの落し物は迷惑です」と書かれた看板を見た。一緒に犬がフンをしている絵が書いてある。


フンじゃない落し物は迷惑じゃないのか。

フン以外のものは落としていいとゆう事か。何というネコババ根性。

でもその気持ちはわからなくもない。とゆうか「いいもの」なら是非僕の家の前にも落としていって欲しい。
多分あの看板を作った人もそう思って書いたのだろう。友達になれそうである。

今日は節分でしたね。
豆も巻き寿司もなかったので豆をまくふりと寿司を食うふりをした。


ホエザルとゆうのがいる。

この猿の声は他の猿とはひと味違うとゆう事だろう。聞いたことないけど。
わざわざ「ホエザル」とゆうぐらいなのだから、他の猿の声なんかは吠えてる内に入らないのかもしれない。

それにしても色々苦労したのだろう。ニホンザルやテナガザルは日本にいる事や手が長いだけで独自のアイデンティティを得ていた。
彼らにしてみれば、「何だよ生まれた場所がよかっただけじゃねえか」とか「ちょっと手が長いぐらいで調子に乗りやがって」といったところだろう。
彼らなりに色々な試行錯誤があったに違いない。道具を使うのはチンパンジーやオランウータンがやってしまったし、胸を叩く事ではゴリラにかないそうにない。

何とかメジャーになるための糸口が「吠える」とゆう事だったのだろう。シンプルイズベストである。


しかしホエザルはいまいちメジャーとは言いがたい。全てをあきらめた感のあるナマケモノに負けているところがあまりにも哀れである。

ノック式ボールペンの先のねじを外すとばねがでてくる。小学校のときなどやたらとシャーペンやボールペンを分解するのが好きだったのでよくバラしていたのだが、ボールペンを解体して遊ぶと、必ずと言っていいほどばねが飛んでいってしまう。

こうゆう事は大概学校でやっているので飛んでいったばねはほとんどの場合見つからない。残るのはいくら押しても手ごたえのないスカスカのボールペンと、ただ虚しさのみである。

さっきまでボールペンとして機能していたものが、一瞬の内にもはやどうしようもないプラスティックの棒になってしまう。


小学生ながらに諸行無常を感じた。

海老の体ってどの部分が腹でどの部分が背中なのか。というと、大概の人は下の図のような答えになるのではないか。僕もそう思う。

これをみれば、とゆうか当然の事なのだが、海老の背中ってものすごく丸まっている。猫背とかゆうレベルの話ではない。


「海老反り」って真逆じゃないのか。全然反ってない。
実は今は勘違いして使われているものの何か別の意味があるんじゃないかと思ったが、広辞苑[4版]には載ってなかった。

実はこれは間違った言葉じゃないのか。
例えが古くて悪いが「チョー」とか「てゆーかー」とかそうゆうレベルで。
誰かが渋谷辺りで「海老ゾリじゃ?ん」「何ソレ」とか言ってるうちに浸透してしまったんじゃないのか。

言葉の乱れとゆうのは深刻ですな。


あ、ネット辞書で調べてみたらこうゆうことらしいです。

何も解決されてないけど。渋谷説は違うとゆう事だけはわかった。

日本人は今一億三千万人(だったっけか)。日本人全員が一人1円ずつくれたら1億三千万円集まる事になる。

とゆうわけでこれを新ビジネスにしてマネーの虎に出ようと思う。

もう彼らの反論に対する答えはできている。

  • 誰もがくれるわけがないでしょう?
      ?絶対1円以上くれる人はいます。極端な話100人に一人が100円ずつくれれば一億円たまるのです。
  • どうやって全国回るの?
      ?徒歩です。あるいは鈍行。どうやっても一億稼げば旅費を引いても多額のプラスになります。

    これ以外に反論できる事あるだろうか。もう思いつかない。あ、虎にお金出してもらう必要ねえや。強いていえば旅費か。