ドラマなどで、急いで行かないといけない場所があるのに車が渋滞してしまい、運転手を乗せたまま車から降りて走るシーンがあるだろう。
あんなの現実にあるんだろうか。ウソくせえ、などと思いつつも僕は高速道路の渋滞中に車から降りた事がある。小学校の時だ。
まあ急いでどこかに行ったわけじゃないけど。単にトイレが我慢できなくなったのである。
ドラマの人も、「だめだこのままじゃ間に合わない!」とか言ってトイレの事だったのかもしれない。それなら納得できる。
いつまで経っても人気の時代劇であるが、人気の理由は、現代にはないような人物や文化、わかりやすいストーリーなどいろいろ考えられる。
多くの場合チャンバラシーンが出てくる事も現代では見られないスペクタクルという事であろう。
いまの時代が、歴史の教科書の真ん中あたりに載るような未来になれば、人間の生活様式や文化も大きく変わっている事だろう。
そうなったときにはいまの人達をモデルにした時代劇のようなものができるかもしれない。
そうなった場合、ミナミの帝王みたいなものになるのではないかと考えられる。あるいは哀川翔のVシネ。
おそらく未来にはないような人物や文化、そしてわかりやすいストーリーと暴力シーン。すべて条件を満たしている。
そう考えたらいま放送されてる時代劇も江戸時代の人なんかに見せたらVシネ的な捉えられ方をするのではないかと思われる。
今の人からみた昔の人のイメージが、ちょんまげして刀持ってるようなものであるのと同様に、未来の人がいまの人に抱く事になるであろうイメージは、竹内力とか哀川翔みたいなものになるってことか。何とかならないのか。未来人にどう思われようとどうだっていいといえばそうだけど。
一応月9ドラマみたいなのをタイムカプセルにでも入れて保存しておいた方がいいかもしれない。
まあ未来人にいまの人は月9ドラマみたいな生活だったと思われるのも微妙だけど。
学校に行く直前に米をひっくり返してしまった。5kgの袋を開けて間もないので4.5kgぐらいはあったであろう。
ものすごいへこんだ。ついでに洗剤もひっくり返した。洗濯用の粉洗剤。
で一部の米と洗剤がまざった。まあちょっとだったからよかったけど。
これって洗剤と米のコラボレーションだよね。とか思ったけど何かもう、どうしようもない。
そのまざった部分を完全に分離することはできないし、これをまとめて米のほうに入れてしまうとご飯が泡立ってしまいそうだ。
逆に洗剤のほうに入れたら洗濯物が米だらけになりそうである。
まあ、服に米がついてても非常食だと考えれば、断然洗剤のほうに入れるべきであろう。
米ぬかパワーとかそういうので汚れも落ちるかもしれない。無洗米だからぬか無いけど。
シールって何で開発されたのだろうとか思うと、最初は便利だからだったと思う。
何かの印をつけるときに、ハンコを押したりいちいちのりを塗って貼るのが面倒だったのであろう。
しかし今では、シールはそういった目的だけに留まらず、子供のおもちゃであったり、ファンシーグッズとしても存在している。
僕も子供の頃などはシールをよく貼ったものだ。
シールを貼るっていうのは、あれだけ子供にも喜ばれているとおり、何かプリミティブな人間の欲求を反映しているのではないだろうか。
そう考えればプリクラが大流行したのもうなずける。
そして人間の本能的な欲求には、必ずといっていいほどセクシャルな感覚がついてまわる。
ひたすらシールを貼り続けるアダルトビデオというのも、探せばあるに違いない。だって気持ちいいんだもの。シール。
フロイトの時代にシールがあったら、「シール期」というのも提唱されていたかもしれない。
K-1のアレクセイ・イグナショフ選手だが、彼はボクシングの練習を葉っぱでやっているらしい。
森の中で、自分と同じくらいの背丈の木に生えた葉っぱを叩き、枝をよけたりして練習するのだ。
これならジムとかに通わなくても気軽に練習できる。僕もそんな感じのもので練習できるかもしれない。
しかし森は近くにないし、公園でやるのは恥ずかしいので家でできるものがいいと思った。
家でボクシングの練習に使うものといえば電灯のひもだ。と思ったが一本じゃ効率悪そうだ。
ひもをパンチしたら向こう側に振れて返ってくるまで待たないといけない。
そこで洗濯物はどうだろうと思った。部屋干ししている洗濯物をパンチして練習するのだ。
あの洗濯バサミがたくさんついた四角いワクみたいなやつ。
洗濯バサミでつるした靴下やタオルをパンチ。パンツをよけたりして練習である。
イグナショフ選手はインタビューで「葉っぱがボクのトレーニングパートナーなんだ」といっていた。
僕もこの練習の成果が出てK-1でデビューすることになったら、「洗濯物がボクのトレーニングパートナーなんだ」と言おうと思う。
携帯電話の着信音は、機械的なメロディだけでなく、人間の声や実際に演奏された音などを鳴らすことができるようになっている。
いわゆる「着うた」だ。
僕の携帯電話には着うたは入っていない。機能はあるのかもしれないが電話機に保存して使ったりはしていない。
もういっそのこと自分で歌っちゃうのはどうか。
マナーモードにしておいて、バイブが震えたら歌うのだ。これなら決まった歌ではなく気分に合わせて自分の好きな歌を着うたにできる。
電車の中で思わず歌ってしまったり、授業中や会議中に思わず歌ってしまい、あわてて歌いながら部屋から出て行くのだ。
注意しないといけないのは、電話を取ったら歌うのはやめないといけないという事である。まあ歌い続けてもいいんだけど。
マツキヨなどの薬局で、店頭で拡声器をもって客寄せをしている人がいる。
かなり喋りなれた感じで、いらっしゃいませいらっしゃいませ、とか何が何割引きだとか言っている。ある種の芸である。
マツキヨの従業員同士での飲み会とかあったら、絶対やるね。あれ。間違いなく大盛り上がりである。やらないわけがない。
でも、居酒屋に行ってもそんなの見たことないという事は、けっこう仲が悪いのかもしれない。マツキヨの人達。
あの店頭でのテンション高いトークもうわべだけで、心の底では店長への憎しみとかが渦巻いているのかもしれない。
本当は拡声器で職場の人の悪口とか言いたいのかも。言ってくれたら面白いんだが。渋谷の人ごみで、拡声器で悪口。
学校で飲んでたら終電がなくなったので歩いて帰ってきた。
うちの大学は1、2年と3、4年で別のキャンパスで、途中1、2年の頃に通ったキャンパスを通ったのだが、銀杏並木を歩いていると、
顔にクモの巣がかかった。
もしかして、こっちの銀杏から道路の向こうの銀杏に向かって糸を張ってたのか。あまりにも壮大な野望を持ったクモである。
この土日に学生がいない間をフル活用してすごいクモの巣作るところだったんじゃないか。銀杏並木をふさぐクモの巣。
月曜日に学校に来た学生を一網打尽にするつもりだったのかもしれないが、巣が完成する前に僕が通って壊してしまった。悪い事をした。
たぶん、地獄に落ちてもクモの糸は垂れてこないな。残念。
ホームシアターやホームベーカリーというのがある。つまり家で大画面に映画を映して映画館気分になったり、
パンを焼いてパン屋気分になるのである。
それにしても、シアターとかベーカリーって普段は絶対言わない。映画館とパン屋だろう。
そこをわざわざシアターとかベーカリーって言い切ってしまうような人がつまりホームシアターやホームベーカリーを設置してる人ってことか。
気取りやがって。
と思ったが「家のパン屋」とか「家の映画館」って言ってる人がいたらそっちのほうが変だ。
「いや、別にお前んちは映画館ではないだろう」とか言われて軽くバカにされそうである。
ほんとに家に映画館もってるような大金持ちなら別だけど。
英語にする事で、家には映画館もパン屋もないという現実を緩和しているのかもしれない。
その上ちょっと洒落た感じまで出てきて一石二鳥ってことか。
2年のときに留年した僕だが、エクストライヤーとでも言ってみようと思う。
「何で4年目なのに3年生なの?」と聞かれても、「いや、ちょっとエクストライヤーがあって」
これはいいな。全然バカっぽくない。
「わんにゃんハイヤー」と書かれた車を見た。でも車種自体は普通のワゴン。
たぶんペットを輸送するための車なのだが、どこがハイヤーだ
。自家用車の後部座席に犬乗せてる人とかいるけど、そっちのほうがよっぽどハイヤーっぽい。
わんにゃんハイヤーと聞いて連想するのは、ワゴンなどではない。犬や猫が車を引いている感じだ。
血統書付きだとなお金持ち感があふれてハイヤー度アップだ。
わんにゃん、という名前のせいかファンシーと虐待の境界線みたいな存在になってきた。
子供が乗ったらファンシー。犬猫車、みたいな名前にするとシャレにならない感じである。
もっとプリミティブな目で見れば、わんにゃんハイヤーから連想するものは、犬や猫にまたがってハイヤー、と掛け声を発することであろう。
大人になったら犬にハイヤーとか言えないし、犬や猫が車を引いてくれるとも思えない。
そういう社会的だったり精神的だったり物理的だったりする制約のもとで、たどりついたわんにゃんハイヤーの結論が、ワゴン。
まあ、ね。