電話機を買った。1600円。

まあそんな事はどうでもいい。出し尽くされたマスターカードネタ(しかも古い)p>英語で単語の頭にunがつくと否定の意味になる。
unbalanceなんてほぼ日本語化してる。アンバランス。日本語ではないか。
そして単語の頭にantiがつくとこれもまた否定の意味になる。否定とはちょっと違うか。どちらかというと積極的に逆、とゆう感じ。まあ細かいニュアンスはこの際どうでもよい。
どちらも肯定的ではない上に最初の二音はカタカナにするとどちらも「アン」である。「アン?」と「アンチ?」。
しかし綴りは違う。"un"と"anti"。
もしこれが一緒だったらシャレにならない。"un"のほうはいいだろう。問題は「アンチ」の方である。
"unti?"になってしまうじゃないか。
いくら授業で「アンチ?」と読むことを教えられたところでウンチしか頭に浮かばない。
これが原因で英文学の道にすすむはずだった人の道が閉ざされていたかもしれないのだ。
ものすごく際どいところで奇跡的に助かったなあ、と思いつつ個人的にはちょっと残念。
風呂に入る前に鏡を見たら鼻毛が出てた。軽く2mmほど。もっとかも。鼻から出てたのは2mmほどだが、明らかに長い鼻毛。つまりそこから根元までの長さはかなりの物だと思われる。
それにしても昨日は出てなかったのに。昨日鏡を見て何となく確認したから間違いない。
一日で2mm(かあるいはそれ以上)も伸びたのか。このペースは異常だ。
もし一ヶ月放っておいたら2×30=60mm。つまり6cmである。シャレにならない。
6センチの鼻毛。風になびくぞ。
小学生が「10歳で身長130cmだから20歳で260cmだー」とか言うのと同じ発想。
まあ出したのもあのナベツネさんですか。品格ですか。そうですか。
特に処分が決まったわけではないみたいだが、どれぐらいやったら横綱を辞めさせられるのだろう。UL>
どの段階でやめさせられるだろうか。相撲協会の限界に挑戦して欲しい。
昨日は飲んだあとカラオケ屋に行った。そこは食べ物の持込ができる店だったのでコンビニでざるそばを買って行ったのだが、とりあえず全員ドリンクは一つは頼まないといけないシステムで、僕はホットコーヒーを頼んだ。
でざるそば食ったあとコーヒー飲んだらあの豆っぽい苦さとそばつゆの味が混じりあって納豆の味になった。
僕は納豆好きなので全然嫌じゃなかった、とゆうかむしろうれしかったのだが。
納豆の味は好きだがネバネバが嫌いだとゆう人はぜひやってみるといい。
カラオケ屋で言えなかったのでここに書いてみる。
モザイクって何か想像とゆうか妄想をかきたてられる。
エロビデオにかけられるモザイクのせいだろうか。普段のテレビでもプライバシー保護以外でモザイクがかかるのは大概局部である。お笑い芸人が脱いだ時とか。
放送しても全然問題ないところにモザイクかかってたらおもしろいと思うのだが。
プロ野球でバットにずっとモザイクかかってたりするとどんな形してるんだ、とか思ってしまうし、「笑っていいとも!」でタモリの顔にだけモザイクがかかってたりしたらもうテレビに釘付けだろう。今日のタモリはどんな顔してるんだ、とか。もう放送できない程すごい顔してんのか、とか想像してしまう。
最近ではお笑いでの局部露出は、本人の顔写真で隠される事が多くなったと思う。モザイクとかボカシとか黒く消したやつは生々しいからだろうか。
しかしああゆう顔写真って本人がものすごい笑ってる写真である。もうそれだけで面白い。
もし僕がNHKに就職して偉くなったら、登場人物全員の下腹部を本人の笑顔写真で隠した連続テレビ小説か、大河ドラマを作りたい。(内容はまとも)
運動会と勉強会のこの規模の差は何だ。
運動と勉強。学校生活における2大要素といえるこれらだが、運動会は学校全体で行われるのに勉強会は友人同士で図書館や家で行われる。
勉強会を学校規模で行ったらどうか。生徒全員を講堂に集めて勉強させる。何て嫌なイベントだ。この日は一年で最も出席率が悪くなるだろう。
逆に、運動会を数人規模で行ってもこれはこれで嫌だ。二人三脚も一対一、とゆうか二人対二人。騎馬戦は騎馬が一つしかできない。
一組だけある騎馬がグラウンドをウロウロと歩き回る運動会。
もはや別の意味での「運動」になりかねない。何が目的かわからないけど。
携帯電話にはキーボードがついてないが数字ボタンに文字が割り振られているため文字入力ができる。
楽器のキーボードも携帯できないものか。というか携帯電話の一機能として使えないものか。
音階って一オクターブで12個の音しかないから、携帯電話のボタンでもヨユーでいける。
残りのボタンで音色を指定できるようにすればいい。
携帯シンセサイザーの誕生である。これで外でも好きな時に音楽を演奏する事ができる。
ケータイで文章を打ってる時って何となくバカっぽく見えるがこれも相当なものだ。
携帯電話の形だから親指だけで打つのが主流になると思われる。
やたらリズミカルに親指が動くのだろう。うーん、バカっぽい。
何か画期的な発想のような気がしてたが着メロを自分で入力する時って同じような事してるなと思った。
結構僕が住んでるところから近い(って言っても歩いて行く気は絶対にしない距離だが)ので笑い事じゃないのだが、この犯人ピーターパンみたいだ。このポーズも絶妙。なぜか後姿だし。
大人なんかになりたくない、とか思ってるうちに、とか書こうとしたけどどんどん不謹慎な方に行きそうなのでやめときます。
ストローは吸うが、笛は吹くものである。
人間は筒状の物を見ると吸う、という本能的な何かを持ってるんじゃないか。
煙草も吸うものであって吹くものではない。昔、水性ボールペンのインクの入った筒を吸って遊んだ事があった。吸うと上がってくるんである。結構勢いよく。で、口に入る直前で止める。
しかし笛は吹く。筒状の物なら吸うのが人間の本能だと仮定したらこれはその仮定に反している。
口笛って息を吸ってもなるのだから、笛も吸えば音が鳴る笛を作れたはずなのに、なぜだ。
むかしはあったんじゃないのか。しかしおそらく人類の歴史の中でタブーとして抹殺されたのだ。
笛を吹くのは音を鳴らすのが目的である。もし吸えば音のなる笛があれば吸う事は音を鳴らすのが目的になる。
ここらへんにポイントがあるんじゃなのか。
煙草は葉がなくなれば終わりだし、ストローも飲んでいた液体がなくなれば終わりである。
しかし笛はどうか。もし吸って鳴る笛があったとして、無限に吸い込む事ができる。明確な「終わり」を示すものがないのだ。
しかも音が鳴るし。
吸うと音のなる筒を、本能のままに思うさま吸い続ける。何と背徳的で官能的な行為だろうか。
きっとそこには麻薬のような快楽があるに違いない。
過去の人々はそれに恐怖を抱きタブーとしたのだろう。
吸うと音が鳴る笛。もしそれを今復活させたらどうなるだろう。多くの人が快楽に溺れ身を滅ぼすだろうか。
僕はあまりにも危険なのでやらない。
いまテレビで「世界一長い耳の毛」を持つオッサンを映してた。
テレビをつけたらもう映しててすぐ終っちゃったのでどんなんかはちゃんと見れなかったのだが、「耳の毛」って何だ。
なぜ「耳毛」と言わないのか。「みみげ」という単語は朝の番組では放送できないという判断か。
こうゆうメディアの無理矢理な上品ナイズはどうも好きになれない。耳毛なんだからはっきりと「耳毛」と言えばいいじゃないか。
だいたい耳ですら遠慮をしないといけないのなら、「チンの毛」「マンの毛」という言い方をしないといけなくなってしまう。
でも「チンの毛」「マンの毛」という言い方はちょっと上品だと思った。テレビおそるべし。