ヤフーのトップにあったトピックス。

まあロード・オブ・ザ・リングなんだが、一瞬虎舞竜のロードかと思ってしまった。第何章なんだ一体。
しかし虎舞竜っていまこんな事言われてもまさか、と思うぐらい水面下で活動してる感がある。
誰も知らないところでロードの続編を作り続けているんじゃないのか。
もしかして、虎舞竜というバンド自体が都市伝説なのかもしれない。
TVタックルを見てたらアフガンにも行った事があるという日本人の元傭兵の人が出てきていた。
傭兵ってほんとに戦争にいって給料もらうらしいめっちゃ安いらしいけど。二ヶ月で8000円ぐらい。
そのとき、元アフガニスタン傭兵の○○さんみたいな紹介のされ方をしたのだが、アフガニスタン傭兵って、ハーフの人の人名みたいだ。
アフガニスタンようへい。芸人としてもやっていけると思う。
フセインが捕まった。
まあ色々ともめているアメリカとイラクだが、この際ブッシュとフセインが取っ組み合いをして勝ったほうがいろいろ決めればいいと思う。
とりあえず年末のK-1に出てみるのはどうか。
こないだはコイヘルペスが流行ってたが、今度は鯛が白点病で大量に死んだらしい。和歌山の養殖場で62万匹。すごい数だ。
何か魚の中で病気が流行ってるのか。病気になる事が。
今、魚たちの間で空前の病気ブーム。
魚界で出てるファッション雑誌なんかあったらこんな感じだろうか。
こんな表紙の雑誌なら読んでみたいと思う。魚飼ってないけど。
「クリスマスには○○を」には何を入れても何か高級感あふれる言葉になる気がする。
デパートの広告っぽく。「大切なあの人に」とか頭についてるとなお良い。
ほらね。
きのう渋谷の街中で滑って転んだ。雨で道が濡れていたのだが、かなり人が多いところで恥ずかしかった。
ヒザを強打した上に人が多かったので物理的、精神的の両方のショックを受けたのだが、痛さと恥ずかしさをこらえて何事もなかったかのように立ち上がって歩きだす僕。
我ながらかなりのポーカーフェイスだったと思う。僕が転んだのを見た人もその光景が目の錯覚だったんじゃないかと思ったのではないか。
これなら殺し屋とか危ない薬の売人をできるかもしれない。仕事を終えては何もないかのように人ごみにまぎれるのだ。
と思ったけど、殺し屋が仕事中に転んでたらだめだ。
授業中に腹が痛くなったのだが授業があと5分ぐらいで終わりそうなので我慢する事にした。
そして終了と同時に急いでトイレへ。
学校の図書館のトイレはウォシュレットである。他のトイレは古くて汚い。もう図書館以外のトイレは使う気があまりしないので、急いで図書館に行く事にした。
でも教室が図書館から離れた建物だったのでやばいなあ、と思いながら早歩きで歩いていたのだが、途中に最近新築された教務課と学生課の建物がある事に気付いた。つまり 教室―学生課―図書館 の位置関係である。
図書館のトイレにはウォシュレットがある。しかし学生課の建物は図書館より新しくできたのだからここのトイレもウォシュレットに違いない。
しかしもしトイレに行ってウォシュレットなかったら、この状況でトイレまで入っておいて我慢できる保障はない。
結局学生課のトイレにはウォシュレットはあった。予想通りである。
この極限状態での判断力はなかなかのものだと思う。
就職活動のときにはこの話でアピールしたい。
自動改札って競馬のゲートと似てる。
陸上競技で自動改札からスタートする競技があったらバカだ。男子100m自動改札。
ヨーイドンでまず自動改札に切符を通してから走る。
切符を上手く機械に入れられなかったり出てきた切符をちゃんと取れなかったりして相手に差をつけられたりするのだ。
陸上競技って狩りの能力と直結したところがあるから(やり投げとか)、現代の文明社会からこういう競技が生まれてもいい気がする。コンクリートジャングル。
アンテナに登録してたらリンクされてた。ありがとうございます。
近々サイトの方からもリンクしときます。
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十六茶とか二十茶とか昔流行ったが、最近コマーシャルとか見ない。もはやブームは去ったのか。
人間の脳は、刺激が続くと同じ量の刺激には反応しなくなるらしい。
もはや十六や二十には慣れてしまったんじゃないのか。どんどん強い刺激を求める人間の必然。
今こそ百六十茶、二百茶を作るべきかもしれない。
しかし刺激に対する反応を同じ量増幅させるには、必要な刺激は指数関数的に増えていくというのも聞いた事がある。
郷ひろみの「二億四千万の瞳」という曲を思いだした。
一億二千万人の瞳を数えて二億四千万の瞳。
一億二千万茶を作ってはどうか。日本人全員が一人一人作ったお茶を混ぜ合わせるのだ。
今こそ各家庭で温められてきたそれぞれのお茶ノウハウが一堂に会するときである。
世界に一つだけのお茶(語呂悪い)
ドラクエやFFといったRPGでは、主人公は魔王の手から世界を救うために旅にでるのだが、主人公が死んだらゲームオーバーである。
でも主人公死んだからってこの世の終わりになるとは限らないだろう。
主人公が死んだら、もうちょっと弱い別の人に旅をさせて世界を救うゲームってどうだろう。
その人が死んだらまた別の人。
ゲームをやりこむ人ってどんどん過酷な条件でクリアしようとするから、乳幼児でクリアしたりするのだ。
最後は誰の助けも借りないために登場人物を一人を残して全員死なせてからクリア。
もはや世界を救うとかはどこにもない。