買ってしまったが読んでない本がある。
今読んでる本を読み終わってないから次の本にいけず手をつけてない本なのだが。
そのくせ「あの本が読みたい」などと「読みたい本」だけはあるからしょうがない。
別に今読んでる本がしょうもないワケではないのだが、単に無気力で読んでないのである。
「今読んでる」というが、最後に読んだのが9月の12日だから「読んでる」とはいえない。
何か本の情報を全て脳に入力してくれる機械とかないのか。
それさえあればどんな長い本も一瞬で読み終わる。そんな機械。
いつか出来るかもしれない。
それにしても誰かが努力して苦労して作り上げたものが他の人々を楽にするとゆう事はよくある。
つまり様々な発明品によって世の中はどんどん「便利」で「楽」になっていくのである。
そんな楽な世界で育った人々が新たな物を作るための苦労に耐えられるのだろうか。
しかも、これだけ高度に発展した世界で全く新しい物を作るのは至難の業である。
科学についても同じ事がいえる。昔の人は「すでにわかっている事」が少なかった。
そのため新しい事を見つけるために時間を費やすことが出来たのであろう。
勿論それらは今では「すでにわかっている事」になるため、彼らがそれを発見するのに費やした時間よりもはるかに短い時間で我々はそれを知る事ができる。
でもいつかは「すでにわかっている事」を学ぶためだけに一生を費やさなければならないほど「すでにわかっている事」が多くなってしまうのではないか。
たとえそれがある一つの専門分野におけることであっても。
そうなればいつかは全く新しいモノを作り出す事は不可能になってしまうのではないか。
全ては既存の技術の組み合わせになってしまうのではないだろうか。
現在はだいぶその状況に近づいている気がする。
エラそうな事を長々と書きましたが、要するに自分の怠惰さと投げやりさに対する言い訳です。